# S-ID:KN023_Keitai_1-1-1-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-16.28491 MOD:2009/07/23
[携帯電話]ケータイ的関係再考
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-2-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-88.39641 MOD:2009/07/08
いつでも人とつながっていられるのは携帯電話のおかげだ。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-3-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-74.69149 MOD:2009/01/31
だけれども、ほんとうにいつでも、というのが問題で。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-4-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-86.15442 MOD:2009/07/08
人と人とは、段階を経て関わりあっていくものだと思う。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-5-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-229.16539 MOD:2009/01/31
絆はすなわち束縛であり、束縛には相互の承認が必要なのだ。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-6-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-221.09502 MOD:2009/07/08
ケータイは、でも、そうしてゆっくりと承認し合う過程をすっ飛ばしてしまうことがある。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-7-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-204.64335 MOD:2008/08/29
承認というのは、長い目で見たときのそれでもあり、即時的な意味でのそれでもあり。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-8-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-141.03325 MOD:2009/07/08
たとえば前者は、まだよく知りえない人にメールを返すときの。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-9-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-187.04701 MOD:2008/08/29
たとえば後者は、一人の時間を持ちたいときに返事を迫るメールが来たときの。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-10-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-103.02240 MOD:2009/07/08
こんな時に、ケータイが普及してしまったことの、ある種の暴力性を感じるのだ。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-11-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-100.37645 MOD:2009/01/31
内容に関わらずタイミングの問題で、メールに、あるいは電話によって、容赦なく追い込まれてしまう。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-12-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-22.37904 MOD:2009/02/10
こういう感じ方は特異だろうか。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-13-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-173.80998 MOD:2009/07/23
でも、基本的に人と人との距離のとり方はケータイだけで定められるものじゃない。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-14-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-83.01171 MOD:2009/01/31
それを心の片隅にでも置いておかないと、おかしなことになる気がするのだ。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-15-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-173.16282 MOD:2009/07/23
と、付き合い方を考えようという話で、別にケータイを抹殺したいわけではない。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-16-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-247.89901 MOD:2009/01/31
きちんとした関係の基盤の上で用いられれば、うわべだけの便利さだけでなく、ほんとうにいつでも心を通わせられる便利さを引き出せるのだ。
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-16-02 括弧タイプ:その他 括弧位置:27 括弧始:( 括弧終:) KNP:2008/02/25 SCORE:-29.17231
事務的な
# S-ID:KN023_Keitai_1-1-17-01 KNP:2008/02/25 SCORE:-3.05357
きっと。